森のこと
環境問題を解決する一番シンプルな方法

戦後すぐの日本の森は、木を伐りすぎて禿げ山ばかりだったそうです。ですが逆に現代の日本の森は、木を伐らなさすぎてもこもこしている状態です。
この「禿げ山からもこもこ」への変化は、「日本の自然が豊かになった」と表現することもできます。ですが一方で、土砂災害が頻発してしまったり数を減らしている生物種があったりと、森としての機能が健全に発揮できていない場所もあります。
70年ほど前と、現在。わたしたち日本人は「禿げ山時代」も「もこもこ時代」もどちらも経験しているわけですが、前者の「木を伐りすぎる状態」と後者の「木を伐らなさすぎる状態」は、状況がただ逆にふれたというだけで本質的な課題は同じなのかもしれません。
たとえば、山菜を里山から採るときで考えると分かりやすいかもしれません。山へ行って山菜を取ってくるときには、暗黙のルールがあります。「根っこごと引き抜かない」「タラの芽は一番芽だけを採取する」といった、さまざまな「マナー」のようなものが、認知されています。
これらのマナーは山への負荷を最小限にするためのものだったり、その山菜自体が枯れてしまわないようにするためのものだったりして、「山菜の恵みをずっと受けとれるように」という工夫です。地域によっては古くから集落ごと、世帯ごとで伝えられていた場合もあり、「これ以上採ってしまうと枯れてしまう。」「これ以上伐ると山が荒れる。」といった肌感覚を、みんなでシェアしていた習わしと言えます。
こういう、「森が自分で自分を修復・浄化できる限度」をわきまえるということは、人と森との間で営まれる、ある種コミュニケーションなのだと思います。どこまでが限度なのか。どんなかかわり方をすると山が荒れてしまうのか。そうした変化を日々、人々が観察していたからこそ、そうした習わしが自然と生まれたんじゃないかという気がします。
「負荷となる限度を知り、それ以上は生産活動をおさえる」。
この、とても難しくて、でもとてもシンプルなことが実践できたら、今ある環境問題の大半は解決できるのかもしれません。